これらの列車は、運転終了との正式な発表はないのですが、長い間運転されていないのでこちらで取り上げます。
快速列車ということで、青春18きっぷでも利用できた(「ムーンライト高知・松山」のグリーン車除く)ので、多くの方に愛された列車です。
1990年ごろの運転開始時は京都〜博多間の運転で、1991年には熊本まで運転されたこともありました。2005年夏季より新大阪〜博多間の運転となり、2008〜09年の年末年始を最後に運転されていません。
運転開始時は12系客車が4両で運転され、その後は夏季を中心に14系リゾート編成(下画像)で運転されました(おおむね6両)。冬季はリゾート編成が「シュプール号」で使われるので、12系やオリジナルの14系(画像は「ムーンライト高知」参照)で運転されていました。
「シュプール号」の運転がなくなる(1999年頃)と、冬季や春季にもリゾート編成が使われるようになりました。2000年ごろまでは自由席もあり、一時は自由席車として急行「だいせん」での役を解かれた12系(座席はセミリクライニングシート)が使われていたこともありました。余談ですが、座れなかった人が荷物棚(下画像参照)で横になっていることもありました。
1990年〜2000年代初めにかけては、「ふるさとライナー九州」という愛称で運転されたこともありました。
京都寄りの最後尾には展望車連結され、旅人どうしの語らいの場となっていましたが、2005年夏季以降は連結されなくなりました。その代わり、それまでの6両編成が8両編成になりました。
2009年夏、使用車両が解体されるとのニュースがあり、衝撃を受けた方も多かったかと思います。その後、下関市の幡生にある車庫でこの車両を見かけたのですが、窓ガラスや座席はすべて撤去されており、解体間近だったようです。
小倉〜博多間では列車退避のための運転停車が多く、時間がかかっていました。
小倉駅、博多駅のイタリック体は土休日(現地)の時刻。
駅名 | 新大阪 発 | 大阪 発 | 三ノ宮 発 | 姫路 発 | 岡山 発 | 下関 着 | 門司 着 | 小倉 着 | 博多 着 |
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時刻 | 21:59 | 22:07 | 22:29 | 23:19 | 0:25 | 5:34 | 5:53 | 6:08 6:16 |
7:27 7:52 |
他の停車駅 | 神戸、明石、加古川、厚狭、戸畑、黒崎、折尾 (博多発も同じです。) |
駅名 | 博多 発 | 折尾 発 | 小倉 発 | 門司 発 | 下関 発 | 岡山 着 | 姫路 着 | 三ノ宮 着 | 大阪 着 | 新大阪 着 |
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時刻 | 20:28 | 21:46 | 22:14 | 22:31 | 22:56 | 4:08 | 5:13 | 6:18 | 6:41 | 6:49 |
博多駅を後発の快速列車に乗れば、小倉駅などで乗り継ぐことができました。
ここに説明が表示されます。
下関駅では電化方式が変わるため、機関車(直流用→交直流用)を交換する作業がありました。(門司駅でもあったと思われる) これを見る人も多く、旅の楽しみの1つでした。
1989年ごろ「ムーンライト高知」として高知発着のみ運転開始。その当時は、週末のみ12系客車を改造したグリーン車3両(JR四国所有)で運転され、お盆や年末年始には12系客車2両(座席はボックス。JR西日本所有)が連結され、そのうち1両が自由席でした。
1996年ごろからは、多客期のみ「ムーンライト松山」が運転開始します。その場合は14系客車(JR西日本所有)が普通車として連結されていました。多度津駅で「高知」「松山」を切り離したり、連結したりしていました。
2001年ごろからは、週末の運転がなくなり、運転期間ほぼすべてで「高知」「松山」が運転されていましたが、高知発の最初2日と、京都発の最後の2日は「高知」のみグリーン車3両での運転でした。2008〜09年の年末年始を最後に運転されていません。
※ G:グリーン車、C:グリーン車(カーペットカー) (禁):禁煙車
※ 「ムーンライト山陽」が連結されることがありました。
どの車両が禁煙車か喫煙車かは不明ですので載せていません。(4・5号車は喫煙車だったと思います。)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
G | C | G | 指 | 自 |
高知←→京都 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
G | C(禁) | 指(禁) | 指 | 指(禁) | G(禁) |
高知←→京都 | 松山←→京都 |
駅名 | 京都 発 | 大阪 発 | 岡山 発 | 高知 着 | 松山 着 |
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時刻 | 23:24 | 0:15 | 3:10 | 7:13 | 7:45 |
この他の停車駅 | 新大阪、三ノ宮、神戸、明石、加古川、姫路 (高知行) 阿波池田、土佐山田、後免。 (松山行) 新居浜、伊予西条、今治、伊予北条。 |
駅名 | 松山 発 | 高知 発 | 岡山 発 | 大阪 着 | 京都 着 |
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時刻 | 22:40 | 23:06 | 3:44 | 6:04 | 6:44 |
「ムーンライト高知・松山」と併結され、1989年ごろの登場当初は京都〜広島の運転でしたが、2001年、USJがオープンした年に運転区間が下関までに延長されました。(初めて聞いた時は驚きでした。) 1999年ごろは、オリジナルの14系客車4両で運転されていましたが、下関延長の際に「ムーンライト八重垣」で使われていた14系リゾート編成になりました。
途中の岡山駅では、列車の連結・解結作業や機関車の取替え作業を見ることができました。(概要は下) 2005年の春を最後に運転されていません。
大阪発が0:15と日付が変わってからの発車だったこともあり、一時はこの列車を利用することで大阪から鹿児島まで青春18きっぷ1日分で行くことができたので、「ムーンライト九州」以上に重宝した列車です。余談ですが、この方法で西鹿児島駅(当時)に着くと、隣のホームには新大阪行きの寝台特急「なは」が止まっていて、感動したものです。また、明るくなって運転される区間が多く、車窓を楽しめるのも良かったです。
運転日は、主に8月のお盆の前後と年末年始。最後の数年は、春にも運転されていました。それでも他の列車よりは運転が少なく、また利用者も多くなかったです。
駅名 | 京都 発 | 大阪 発 | 広島 着 | 下関 着 |
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時刻 | 23:27 | 0:15 | 5:29 | 9:06 |
他の停車駅 | 神戸、明石、加古川、姫路、岡山、広島、宮島口、岩国、柳井、光、下松、徳山、防府、小郡(新山口)、宇部、厚狭(下関発も同じです。) |
駅名 | 下関 発 | 広島 発 | 大阪 着 | 京都 着 |
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時刻 | 20:35 | 0:21 | 5:41 | 6:24 |
2004年ごろのデータをもとに作成しました。乗り場の番号などは当時のものですし、作業の順序は時期によって異なるかもしれません。駅構内は真っ暗なので、写真は存在しません。
1993年ごろから2004年冬まで、京都(最後の2年ほどは大阪)〜出雲市間を伯備線経由で結んでいました。2000年ごろまでは寝台車も連結され、普通車も「ムーンライト九州」で使われるリゾート用の車両でした。またその頃は、岡山駅で電気機関車をディーゼル機関車に取り替えていました。
「ムーンライト山陽」が下関まで行くようになった時に、車両は青い14系客車(下画像)に変わり、最後の何年かは全区間ディーゼル機関車が牽引していました。この頃は急行「だいせん」(現在は運転終了)も気動車による運転でしたので、「古き良き時代のだいせん」という印象でした。
おおむね8月のお盆の時期と年末年始に運転されていました。2002年ごろ(USJがオープンした頃)は、春休み中にも運転されました。自由席よりも指定席の方が混雑する印象がありました。
駅名 | 大阪 発 | 岡山 発 | 出雲市 着 |
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時刻 | 22:22 | 1:04 | 7:11 |
他の停車駅 | 神戸、明石、岡山、生山、根雨、米子、安来、松江、玉造温泉、宍道 (出雲市発も同じです。) |
駅名 | 出雲市 発 | 岡山 着 | 大阪 着 |
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時刻 | 21:05 | 2:04 | 6:08 |
この種の列車は、JR化当時に台頭し始めていた夜行高速バスに対抗して設定されたようです。それを色濃く反映しているのがグリーン車3両で運転されていた「ムーンライト高知」だったかと思います。
が、ここで取り上げている列車に限っては、PR不足もあって利用は振るわず、後に多客期のみの運転となりました。それでも、快速列車ということもあって「青春18きっぱー」には「おトクな列車」として大人気でした。自由席があった頃には、座席確保のために何時間も前から並ぶ必要がありました。座れずに通路や荷物棚に寝転んでいた人も多かったです。また、1990年代後半になると、客車で運転される寝台車以外の旅客列車はほとんどなかったので、物珍しさから乗った人もいたことでしょう。
そんな中、2001年にユニバーサルスタジオジャパン(USJ)が開業し、アクセス列車としてもてはやされた時期もありました。運転日が増えたり、運転区間が延びたりもして、その頃がムーンライト列車の最盛時だったかと思います。なお、その頃から、自由席はなくなり、全車指定となっています。
しかしながら、それも長く続かず、2003年くらいからは運転日も少なくなって来ました。
あとは寝台特急がなくなっていったのと同じですが、上記列車で使われる車両は昭和40年代以前に作られ、老朽化も進んでいたはずです。客車で運転されるため、多数の要員が必要ですが、最後まで残った寝台特急「富士」「はやぶさ」がなくなると、こういった列車を運転するためだけに要員を割くこともできなくなったのでしょう。
2011年現在も需要はまだあると思いますので、運転するだけなら、「九州」なら485系や583系、「高知」ならキハ181を使ったらできそうなのですが、そのような動きは全くありません。中長距離輸送は新幹線に押し付け、在来線は地元の通勤通学輸送に特化することで、合理化をすすめているのが今の鉄道界の流れだと思います。この点は、日本国内に限ったものではなく、ヨーロッパでも見られることのようです。
現在は、「ネカフェなんかで夜明かしすれば安く上がる」と勧めたりしていますが、18歳未満の人には利用できませんし、高齢の方には抵抗もあるでしょう。だから、このような列車はあってほしいものですし、時刻表を見て、こういった列車が載っていないのが何ともさびしいです。
往復「ムーンライト九州」を利用。(1998年ごろ実施)
1日目 大阪→福知山→豊岡→鳥取→米子→出雲市(周辺でぶらぶら)→岡山ー(ムーンライト九州) →博多
2日目 博多→鳥栖→佐世保→長崎(眼鏡橋を見に行きました)→鳥栖→博多ー(ムーンライト九州) →岡山
3日目 岡山→坂出→琴平→阿波池田→高知(周辺をぶらぶら)→阿波池田→坂出→岡山→姫路→大阪
夜明かしに上記ムーンライト列車(九州除く)をフルに使いました。(1999〜2001年ごろ実施)
1日目 三ノ宮ー(ムーンライト高知) →高知→窪川→(予土線)→宇和島→松山(道後温泉で入浴)ー(ムーンライト松山) →岡山
2日目 岡山ー(ムーンライト山陽) →広島→小郡→厚狭→長門市→益田→出雲市ー(ムーンライト八重垣) →
3日目 →大阪
同種の旅を3回やりました。夜行列車は同じで、経由線区を変える。
行きは「ムーンライト山陽」、帰りは「ムーンライト九州」を利用。(2002年ごろ実施)
1日目 三ノ宮ー(ムーンライト山陽) →下関→門司→大牟田→熊本→八代→西鹿児島(ホテル泊)
2日目 (午前中鹿児島市内をウロウロ)西鹿児島→宮崎→延岡→大分→中津→下関ー(ムーンライト九州) →
3日目 →大阪