なつかしの列車・路線 中四国・九州
九州の485系特急など
特別快速「なのはなDX」
快速「天草グルメ快速おこしき」
快速「九千坊号」
急行「つやま」
381系通勤ライナー
特急「いそかぜ」
鹿児島本線(八代〜川内間)
可部線の可部〜三段峡間(非電化区間)
快速「マリンライナー」(213系)
小野田線本山支線のクモハ42
快速「北長門」
快速「チボリ号」
快速「スーパーラビット」
急行「さんべ」
美祢線大嶺支線
島原鉄道(島原外港〜加津佐)
九州の485系特急など
以前は九州全体で運転されていましたが、新型車両の登場と新幹線の開業によって徐々に活躍の場が狭められ、2011年3月の九州新幹線の全線開業によって引退となりました。
一部は「ホームライナー」などの普通列車としても運転され、乗車整理券を購入すれば青春18きっぷでも利用できました。国鉄マークの付いた車両もありました。
特別快速「なのはなDX」
指宿枕崎線を通り、鹿児島中央と指宿を結ぶ速達列車でした。3号車はキハ220となり、展望スペース付きの指定席車です。(下画像参照) 1・2号車はキハ200で自由席(座席は転換クロスシートだと思いますが、ロングシートの場合もあったかもしれません。)となります。九州新幹線の全通と同時に怪しげな特急列車が登場し、それと入れ替わりに運転終了となりました。
現在でも全車自由席の快速「なのはな」もありますが、こちらはロングシート車で運転される列車があります。
3 | 2 | 1 |
指 | 自 | 自 |
鹿児島中央←→指宿 |
快速「天草グルメ快速おこしき」
熊本 10:02 → 三角 10:51
三角 14:55 → 熊本 15:43
三角線を走る観光列車で、土休日に限り、同時間帯の普通列車の時刻を変更(一部駅を通過)して運転されていました。車両は普通列車と同じ(キハ47・31などの2両)ですが、ヘッドマークが付いていました。「おこしき」という愛称は、三角線の沿線にある「御輿来海岸」から来ているようです。2011年3月の改正で運転されなくなりました。
快速「九千坊号」
2005年秋から2008年3月9日まで、主に休日に運転されていた肥薩線の川線区間の観光列車です。以下は運転されていた当時のデータです。
- 熊本 9:03 → 人吉 11:39
- 人吉 15:24 → 熊本 17:20
- キハ31の1両 ワンマン運転
眺めの良いところではゆっくり走ったり、テープによる案内があります。指定席(16席ですが、その後12席で発券は9席になりました。下の座席図を参照)は畳敷きになっていて、足を伸ばして球磨川などの車窓を楽しめました。が、知らない人と相席することになった場合は、通路反対側の1人席(C席)に座ることができるように案内されていました。(後に、C席は自由席となりました。)
「九千坊(きゅうせんぼう)」という愛称は、中国の揚子江から球磨川に移り住んだカッパ一族の伝説にちなんでいます。
急行「つやま」
岡山と津山を結ぶ1往復運転の急行列車でしたが、同じ区間を走る快速「ことぶき」と所要時間がほとんど変わらないことや、急行料金が要ることを知らずに乗る人が多かったことから、快速に置き換えられる形で姿を消しました。キハ48(普通列車用の車両)で運転されていて、ロングシートがある急行列車としても有名だったようです。
見た感じ、新幹線から乗り換えてビジネス目的で津山に向かう人が利用していたようです。
381系通勤ライナー
山陰本線の西出雲駅(登場時は出雲市駅)と米子駅を結ぶ休日運休片道だけ朝ラッシュ時に運転される快速列車でした。当初はキハ181の3両編成が使われ、利用が好調なことから「やくも」用の381系に変わり、編成中にあったグリーン車も普通車として乗車券のみで利用できるようになっていました。
2008年3月に113系(リニューアル車)に置き換えられ、さらに2010年3月にはキハ126に置き換えられています。その後2019年には普通列車となり、「通勤ライナー」の愛称は消滅しました。381系は現在、「ゆったりやくも」編成にリニューアルされましたが、この編成には乗車券だけでは乗せたくないんでしょう。
特急「いそかぜ」
益田駅で →
米子駅で →
国鉄時代のデザインのキハ181で運転される最後の特急でしたが、2005年2月末で運転終了となりました。同時に、山陰本線の益田以西で走る優等列車はなくなってしまいました。
大阪〜博多間を福知山・山陰線経由で結んでいた「まつかぜ」を、大阪〜米子間の「まつがぜ」、米子〜博多間を「いそかぜ」として1985年に登場。以降、1993年には運転区間が米子〜小倉間に短縮されたものの、山陰本線西部の代表的な特急として名を馳せていました。が、2001年の山陰本線高速化の時に廃止の噂があり、地元の要望が実って運転区間は益田〜小倉間に短縮されて、辛くも生き残った経緯があります。が、もともと利用者は少ない区間のみの運転となったため、いつなくなってもおかしくない状態が続いていたかと思います。
鹿児島本線(八代〜川内間)
九州新幹線の開業により、平成16年3月に第3セクター化されました。急行用車両が使われ、ローカル線の旅を満喫できる区間でした・・・。
可部線の可部〜三段峡間(非電化区間)
気動車が1両(一部2両もあり)でのんびり走っていた区間ですが、利用者減少のため、03年11月で運転終了となりました。太田川に沿って走るのですが、その車窓がすばらしかったのを覚えています。
快速「マリンライナー」(213系)
瀬戸大橋線の開業以来、瀬戸大橋を渡る列車として走り続けましたが、イメージアップのため03年10月に新型車両に置き換えられました。とはいえ、デビューは1986年でまだ十分に使用に耐えられるため、現在は2両編成でワンマン運転できるように改造され、岡山地区で走っています。
瀬戸大橋線開業前は、「備讃ライナー」という列車名で岡山と宇野を結び、宇高連絡船に接続していましたが、16年の時を経て、宇野駅に再びこの車両が乗り入れるようになっています。
小野田線本山支線のクモハ42
昭和初期に作られた車両で、一歩車内に足を踏み入れると木のにおいが充満し、昭和初期にタイムスリップしたみたいです。が、70年近く走り老朽化が進んだため、03年3月のダイヤ改正で引退しました。
快速「スーパーラビット」
急行「さんべ」
美祢線大嶺支線
島原鉄道(島原外港〜加津佐)
快速「北長門」
'97年夏ごろ、新幹線の厚狭駅が開業したのを期に、厚狭駅から美祢線を通り東萩駅まで、主に土休日に2往復運転されていました。車両はキハ28+58の2両で、うち1両は指定席で特急並みのリクライニングシート、もう1両は自由席で従来のボックスタイプの座席でした。ヘッドマークがあった他、厚狭駅では長い間使用されていなかった2・3番線(おそらく美祢線から山陽本線に乗り入れる列車が使用していたと思われる)から発車していました。
その後、うち1往復の運転区間が長門市までに短縮され、さらに列車名を「萩・津和野号」「金子みすヾ号」などに変えて運転されていましたが、これらを含め、美祢線を走る快速列車はいつしかなくなっていました。
快速「チボリ号」
倉敷チボリ公園がオープンしたことを期に、姫路から岡山を経て福山まで運転されていました。姫路〜岡山間を快速運転する列車は非常に珍しかったです。主に土休日の運転で、青春18きっぷ利用期間は非常に混雑していました。
車両は221系や117系が4両で、姫路駅を朝8時半ごろ発車し福山駅には10時半ごろ到着、福山駅を16時ごろ発車し姫路駅には18時ごろ到着するというダイヤでした。
その後、チボリ公園の不人気や、姫路駅から岡山以西に乗り入れる普通列車が多く運転されるようになったことから、運転されなくなりました。
快速「スーパーラビット」
'94年夏ごろから、福山〜広島間に毎日(後に期間を限定したり、土休日)2往復運転され、当初は福山から広島までノンストップで運転していました。その頃、福山〜広島間に高速バスが走るようになり、それに対抗しての設定だったと思います。また、この列車を利用した割引きっぷも福山駅で売られていました。
2本とも福山駅を午前に発車し、広島駅を午後に発車するダイヤで、岡山と広島に所属する115系で1往復ずつ運転されていました。岡山に所属する車両には、下のようなヘッドマークが付いていました。
その後、東福山駅始発となり、尾道駅と三原駅に停車するようにもなりましたが、いつの間にか運転されなくなっていました。
急行「さんべ」
鳥取を朝4時51分に発車し、半日かけて九州の小倉に至る急行でしたが、快速に格下げされる形で97年3月に廃止されました。
美祢線大嶺支線
南大嶺駅の本屋よりのホームから発車。しばらくしてから本線(長門市方面)と別れます。田園地帯を走り、3分ほどで大嶺駅に到着。キハ23のワンマン運転で、列車は本線の列車に一応接続してました。1997年3月限りで運行終了。
島原鉄道(島原外港〜加津佐)
長崎県の島原半島を走る路線ですが、利用者が低迷していたことから、南部の島原外港〜加津佐間の運行を2008年3月末で取りやめています。同時に、旧型車両(キハ20)の運転も終了しました。
加津佐駅と原城駅
キハ20
元々は国鉄が開発した車両ですが、JRからは姿を消し、車両を譲り受けた地方の鉄道会社に残るのみです。島原鉄道では、国鉄などから譲り受けた車両の他、自社で導入した車両も在籍していました。
サボには「加津佐」の文字があっても、多くは南島原駅で降ろされ、隣のホームに停車中のワンマン列車に乗り換えさせられました。